庵野秀明監督による大ヒットアニメ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズの最新作にして完結編。1995~96年に放送されて社会現象を巻き起こしたテレビシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」を再構築し、4部作で描いた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ。2007年に公開された第1部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」、09年の第2部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」、12年の第3部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」に続く今作は、「新劇場版」シリーズの集大成となる。テーマソングは、これまでの「新劇場版」シリーズも担当した宇多田ヒカル。ミサトの率いる反ネルフ組織ヴィレは、コア化で赤く染まったパリ旧市街にいた。旗艦AAAヴンダーから選抜隊が降下し、残された封印柱に取りつく。復元オペの作業可能時間はわずか720秒。決死の作戦遂行中、ネルフのEVAが大群で接近し、マリの改8号機が迎撃を開始した。一方、シンジ、アスカ、アヤナミレイ(仮称)の3人は日本の大地をさまよい歩いていた……。
(映画.comより引用)
どうもNOTOです。右ひざの痛みが抜けません。
四半世紀にわたるエヴァの呪いから解放された、初老のおじさんの感想を代弁する力石徹を張っときますね。
出典:『あしたのジョー』8巻
テレビシリーズから始まり、ついつい誤ってエヴァにかかずりあってしまった同世代の皆様、概ねこんな感慨を抱いたのではないでしょうか。
私自身、エヴァに関してはごっつりハマったオタと云う訳では無く、TVシリーズと劇場版を一応付き合ったライトなファンぐらいの位置ですが、劇場版公開位までの当時の熱狂を思いますと、私程度の付き合いでも実に感慨深いものがありますよ。解釈本とかにどっぷりハマったコアなオタにはたまらんかったでしょうな。
新劇場版から見始めた世代(言っても序から14年たってますが)には解りずらいかもしれませんが、25年前の1995年はまだ今ほどアニメ作品が世に受け入れられていないと云うか、宅八郎(新劇世代には(・・?でしょうけど。ググってください)が出てきたのが1990年そこいら。
サブカルに意識的な人でない限り、良い歳こいてアニメを見る人なんてまだまだ少数派だったんですね。オタクという言葉がFour Letter Wordの様に扱われてましたよ。
そんな中でオタク以外の、しかも良い歳した大人たちまで巻き込んだ社会的ブームですから、ジジイの身びいき的感覚としては、ファン単体の熱量としては今の鬼滅ブームを超えていたと思いますよ。
こんなことを言ったら「いやガンダムの時はそりゃ」とか「いやいやヤマトの劇場版なんかそりゃあんた」なんて諸先輩方のマウント合戦が始まるんでしょね。『桃太郎 海の神兵』あたりまで遡れるかな。
まぁとにかく当時のコミケの薄い本は、ほぼ綾波かアスカでしたよ。ギネスの項目に「最も薄い本のネタになったキャラ」があったら、どちらが選ばれるんでしょうね。
私自身は、幼少期から漫画アニメ小説映画にどっぷりはまりこんでましたが、それでも当時はTVシリーズのアニメを見る事はあまりなかったですね。当時OVAが流行ってて、そちらはちょいちょい見ていたような記憶があります。
ナディアは見ていたんですが、エヴァはリアルタイムでは追ってませんで、評判を聞いて友人からビデオを借りて、ほぼ一気見しましたね。見終わった後すぐ友人に電話して「なんじゃありゃ」と云ったのも、もはやエヴァ思い出話ではお約束です。
と、シンエヴァの話をしようとすると、オールドファンは大概昔話を始め出すと思いますよ。なぜかと云うと、四半世紀付き合ってきた以上どうしても過去を反芻せざるを得ないんですよ。大体コピーが、「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」ですよ。そりゃ記憶も25年前に飛びますわ。
そんなわけで、旧劇場版ですよ。見終わった後、友人と飲み屋で、「なんじゃありゃ」以下略。
まあでも、あれでなんにせよ決着はついたわけじゃないですか。
だから、新劇場版がスタートした時も「ガイナックス金無ぇのか」位にしか思わなくて、スタジオカラーがあったことすら知らなかったんですよ。
実際、序は只のリメイクに見えましたし。破になってようやっと「おぉ!シンジ、男やのぉ」なんて思って。エヴァが熱血ロボットアニメにどうすんだ、と云う意見もおありでしょうが、エヴァがそうなったからこそ、おお!と思ったわけですね。
これで旧劇と違う終わり、新たな解釈が見れるのか、と思ったらQですよ。て云うか終わんねえの?これどうすんの?見終わった後、友人と飲み屋で、「なんじゃありゃ」と云ったのも、以下略。と、宙ぶらりんになってから十年弱。
こんな調子で、先ほども申した通り、はなっから付き合ってるジジイ若しくはババアがシンエヴァについて話そうと思うと、大体こんな益体もない昔話を延々としないと始まらない訳ですよ。これはもう仕方がない。因果ですね。
と云う訳で、最初のパリのシーンで、あゝナディア懐かしいなエレクトラさんぽい人もいるし、なんて呑気に思っていたんです。この後に続く猛烈な総括の始まりとも気づかずに。
ビックリするほど雑なあらすじは、カヲル君爆殺シーンを間近で見て完全に鬱になったシンジ君が、わずかな人類の生き残るコロニー第三村で、農作業に勤しむ事によって人間性を獲得したアヤナミレイ(仮)や、もはやツンデレを超え保護者状態のアスカ、医者もどきのトウジ、トウジと子供をこさえた委員長、アスカと同棲状態のケンスケ達などの村民に見守られ鬱抜け。ミサトと加持の息子(リョウジって親父と同名!)と会ったりしましてね。
しかし、ネルフで体調管理できてなかった為、目の前でLCL化してしまったアヤナミレイを見て、父親とケリをつける事を決意。補完計画を実行しようとするネルフ本部を強襲するヴンダーに同乗します。
ま、いろいろありまして(正直理解できてません)、人間をやめたゲンドウとエヴァでひとしきり親子喧嘩をした後、話し合いでゲンドウを説得。中二病でコミュ障のオッサンの妄執を晴らした後、エヴァパイロットたちの魂も浄化?させた後、エヴァのいない世界に改変させるために自らの魂を槍に突かせようとするシンジを、もともとエヴァにあった母親ユイの魂が身代わりになり、シンジを世界に送り返します。マリが最後に迎えに来て、彼女のエヴァも消失。
エヴァの居ない世界では宇部新川駅に大人になったシンジがいました。駅には付き合ってるっぽいレイとカヲル、アスカも、大人になって居ました。最後は迎えに来たマリと一緒に駅を走って飛び出いきましたよ。
いや、よくぞケリをつけてくれました。庵野秀明って誠実な人なんだなと思いましたね。ホントお疲れ様でございます。
旧劇でも着いてるっちゃ着いてるんですけどね。他者とのつながりがテーマの話としては、問答無用で仲良く液状化した全人類以外の2人が、相手を殺しそうになってキメえ呼ばわりされて終わり、じゃあんまりじゃないですか。ま、あん時の監督のメンタルがああだったんでしょうよ。
それが今回ちゃんとあの場所で、アスカの事が好きだったと言えるようになって本当によかったねと、それこそ「おめでとう」と拍手をしたくなりましたよ。
結局、地に足をつけて、社会と関わりあって、世の為人の為、そして自分の為生きていきましょう。というビックリするほど普通の結論に辿り着いた訳ですが、25年がかりで辿り着いたからこその大いなる感慨。
世界を改変し、神話にならずに宇部興産に就職したシンジ君が、胸の大きい好い女と幸せに過ごしてくれればそれで結構です。EVA(エチレン酢酸ビニル)も作ってるし。やっぱりマリ=安野モヨコさんなんですね。
まさかこのタイトルがネタバレ(笑)だとは…
ただ、第三村のシークエンスは何と云うか、年取るとみんな農業とかプリミティブな労働への憧憬に向かうんだなぁなんて思って、エヴァに限らず。
農業含め第一次産業で汗水流して働くことこそが人間性への回帰、みたいな考えも別にいいんですが、何か都会で病んだ人たちの安易な逃避先としての、理想郷の農業みたいな感じが釈然としないと云うか。
実際に農業をしてる人たちも相当大変でしょうし、都会にはない闇や苦悩ももちろんあるでしょう。全員素朴で善良な訳もなければ、そういった都会人の勘違いを利用してビジネスをしている人もいるでしょう。プリミティブなんて言いましたが、農業ほど化学的かつ合理主義的なビジネスはないでしょうからね。まあ、エヴァでいきなり現代農業の問題点等をフォーカスされても(。´・ω・)?ですが。
都会で暮らし続けてる人間が、農業に変な幻想を持つのもなんかなぁ、なんて畑を耕す芸能人のニュースを見るたびに思ったりしてた訳です。
やっぱり「松方弘樹 世界を釣る!」みたいに自然主義的な感じが一切ない、金持ちの道楽感満載のアプローチこそが、都市住民の地方に対するあり方の1つではないでしょうか。敬意と感謝をもって消費させていただくと云うか。
営農とサブカル - おまけ配信 お便り紹介(ツシマ回とJPN)とシンエヴァンゲリオン劇場版の農業描写
北海道のコメ農家ジョンさんのpodcast。毎回面白いです。やっぱり農家の方もイラっとしてるんだなぁなんて思って。
入場者特典のパンフレット。ここにある単語のほぼ全てを理解してません。
とにかく今作に関しては、映画としてどうこうより、完結してくれて良かったに尽きますね。もうオールドファンはみんなTV版最終回みたいな気分になってるんじゃないですかね。新劇場版から入った人たちはどんな気分なんでしょう?
こんな風にきちんと完結しないで終わる作品も、今後どんどん増えるだろうし。何せ付き合ってるこちらもいい年だから仕方ないんですが。『ガラスの仮面』とか大丈夫なのかしら。
ではまた。